人文学部歴史学科2年の鳥谷舞奈です。今回私達は「歴史調査実習Ⅱ」のフィールドワークにおいて、新宿へ行ってきました。
11月8日(金)
最初に行った場所は、「新宿歴史博物館」です。この博物館では、学芸員の方に新宿の歴史についてご説明していただきました。
私達は、内藤新宿についてを中心に学びました。
新宿は昔、内藤家の下屋敷があったことから「内藤新宿」と呼ばれていました。その後、新宿駅ができたことで、現在の通り「新宿」と呼ばれるようになりました。
また新宿は昔、宿場町でした。主に遊興の場として栄えていました。1718年に一度、幕府からの命により廃駅になるも、1772年には再び栄えていきました。
この博物館では、内藤新宿の宿場町を再現した模型を見ることができました。それ以外にも、旧石器時代から昭和?戦後までの様々な展示がありました。
私達は新宿の歴史について知らないことが多く、学芸員の方から多くのことを学べました。新宿という場所について、改めて知る良い機会となりました。
興味のある方は、実際に行ってみて下さい。
2番目に行った先は、「於岩稲荷田宮神社」です。ここは怪談で有名な「四谷怪談」のお岩さんのゆかりの神社です。
ここでは、お岩という女性を祀っています。ご利益は、福を招く?商売繁盛などがあります。
なぜ四谷怪談の題材にされたのかというと、歌舞伎が関係しています。江戸時代後期、歌舞伎の作者が於岩稲荷を題材に歌舞伎を行おうと考えました。
その際、お岩という名前だけを借りたそうです。そこから、四谷怪談は人気となっていきました。
四谷怪談に興味のある方やそうでない方にもおすすめの場所です。新宿に行く機会がありましたら、寄ってみて下さい。
最後に行った先は、「四谷須賀神社」です。この神社は、映画『君の名は。』の聖地でもあります。
この神社は、四谷の総鎮守です。敷地内には、三十六歌仙の肖像画がありました。三十六歌仙とは、36人の代表的な歌人のことです。
柿本人麻呂や紀貫之などの人物がいます。また、私達が行った際には酉の市が行われおり、参拝客が多くいました。
先ほど書いたように、ここは映画『君の名は。』の聖地となっている場所です。この神社の階段が映画で使われた場所だそうです。
以上のように、1日目は新宿歴史博物館?於岩稲荷田宮神社?四谷須賀神社の3か所へ行きました。どの場所も初めて行く場所であり、楽しみながら行くことができました。
11月15日(金)
2日目は歴史学科2年の松久聖が担当します。私は新宿の熊野神社と淀橋について書いていこうと思います。
今回熊野神社に正式参拝という形で熊野神社に伺いました。正式参拝と言うのは初めての体験で祭祀の方から中野長者伝説のお話を伺い、御神酒を頂いたりととても貴重な体験をさせて頂くことが出来ました。
さて、まずは熊野神社について書いていきます。
十二社熊野神社は室町時代の応永年間に中野長者と呼ばれ鈴木九郎が故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祀ったものとされています。櫛御気野大神?伊邪那美大神が祭神とされています。
次に中野長者伝説についてです。この鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官を務める家柄でありました。
しかし源義経に従ったことで中野の住むようになったとされています。
この時、九郎は総州葛西に馬を売りに行き、この馬が高値で売れたため、仏様の功徳と感謝して、得たお金は全て浅草観音に奉納しました。
家に帰ると黄金に満ち、そこから九郎は「中野長者」と呼ばれるまでになりました。
しかし金銀を財宝を隠そうと人を使って運ばせ際に邪念が生じ手伝ってくれた人達を「淀橋」で亡きものにして行きました。
そして九郎に罰があたります。これが中野長者伝説の大まかな内容です。興味がある方は中野長者伝説と調べてください!
この話を聞いて思ったことはやはり最初はどんなにいい人でも富や権力を持ったら変わってしまうのだと言うことを感じました。
正式参拝の後、神職の方から文化財についてお話をして頂きました。
熊野神社には新宿区指定史跡である十二社の碑や新宿区指定有形文化財の七人役者図絵馬、式三番奉納額他にも沢山の文化財を見させていただくことが出来ました。
また個人的に気になった話は熊野神社には八咫烏が描かれているとされています。八咫烏と言えばサッカーを思い浮かべる人も居るのではないでしょうか。
その事もあり、なでしこジャパンがW杯前に参拝し優勝したとされています。私自身サッカーをやっていた事もありとても気になりました(笑)
このように魅力たっぷりの新宿熊野神社はアクセスも新宿中央公園の中にあります。
とても行きやすい場所なので是非行ってみてはいかがでしょうか?
次に淀橋です。淀橋と聞くとヨドバシカメラを思い浮かべますよね?(笑)
そーなんです!ここの近くで出来たカメラ屋さんだからヨドバシカメラと言う名前になったとされています!
淀橋と言う名前になった由来としては先程お話した中野長者伝説と関わりがあります。
鈴木九郎が淀橋から人を投げて殺した事から「姿見ず橋」と呼ばれるようになりました。
その話を聞いた徳川家光は不吉な話で良くないとし、景色が淀川を思い出させるとして淀橋になったとされています。
数少ない淀橋の名を残す場所だと考えると、感慨深いです。
淀橋は熊野神社からも徒歩で10分ほどなので是非訪れて欲しいです!